« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

自分らしく

8月も今日で終わり。
週一回、無料の生活情報紙の一つ「リビング」がポストに配達され
た。広げると新聞紙と同じ大きさ。12ページであるが、いつも読
み応え、見応えがあるが、今回は特に中身が濃い。

一面、二面は、明日の防災の日を前にしてか、防災に関しての記事。
「最低限心得ておくべき3箇条を指南」わかりやすく説明してくれ
ている。準備しておくべき品物が書かれている。

12面は、選挙のための各政党の政策ポイントをまとめて掲載して
いる。これは非常にわかりやすい。
新聞に折り込まれる各政党の選挙の公約とともに、読んでいこう。
ちなみに、本日、選挙の入場整理券が配達された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

生きる 生きる

生きる 生きる 生きる
明日を生きる 
今日を生きる

24時間テレビ・愛は地球を救うの日曜日(28日)のある場面の
こと。新潟地震での東京消防庁のハイパーレス救隊の人たちのこと
を映していた。昨年。優太ちゃん救出には、テレビで全国の人たち
が固唾をのんで見守っていた。救出された時は、本当に涙が出た。 
優太ちゃんの生命力とレス救隊の方々の努力と苦労に感激をした。
きっと、優太ちゃん、元気に育ってくれることだろう。

生きているって 素晴らしい
植物も 動物も 生きる
生命ある限り 誰もが生きる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

24時間テレビ・続き

今年の、「24時間テレビ・愛は地球を救う」のテーマは「生きる」
だった。「生きる」・・普段、何気なく使っている言葉であるけれ
ど。「あなたの生きるは何ですか?」と出演している人に番組の中
でも問うていた。

総合司会が徳光和夫さん、西尾由佳里(日テレアナウンサー)
メインパーソナリティがSMAPの草薙 剛・香取慎吾の2人。
ちょっと脱線して、草なぎのなぎの字は文字の変換が出来ないのだ。
「弓編に“前”という字の下に“刀”」と書くのが正しいみたいだ
けれど、難しい。

チャリティマラソンの走者が59歳の丸山和也弁護士、一週間前に
ギックリ腰をしたとかの話をテレビでされていたけれど、放送終了
時間までには武道館にゴール。 今までの100キロマラソンでは
最年長の方だという。 途中、走らず歩いたところはあっても、走
り抜いたのは、とても素晴らしいことである。力をもらったような
感じであった。

SMAP5人のうちの3人もさりげない形で出演していたようだ。
丸山弁護士がゴールした後で、「世界にひとつだけの花」を歌って
いたが、ピッタリと合っていた。 

「生きる」・・この世に必要として生まれてきたのだから、生きる
ために働く、働くために食べる、生きるために食べる。自分一人で
生きているのではなく、たくさんの人に支えられているのだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

24時間テレビ・愛は地球を救う

昨日からの24時間テレビ。
過去にボランティアで3回、武道館に行ったことを思い出している。

家から24時間テレビの黄色のティシャツを着て電車に乗り武道館
へ行ったこと。
武道館に入るときには、手話通訳・名前 を書いたワッペンを貼っ
て入場したこと。
武道館には、募金をする人たちの長い列が続いていたこと。
愛の小鳩(手話)では3人ずつが一組となりずつ、3つのグループ
に別れ、それぞれの時間帯で武道館へ。

私たちのすることは、耳の不自由な方がいらっしゃたときに手話通
訳で案内をすることと、武道館への道順などを訪ねる電話の受付番
をすることであった。
3人で1時間ずつ交代で電話に出て、残り2人は本部席で一般の入
場者、ゲストなどのチャリティ募金をする人たちの列を見つめてい
た。
私がボランティアをした時は、通訳での案内は一度もなかった。電
話の受付番をしている時に、耳の不自由な方が入場され通訳として
案内をしたことをと友だちから聞いた。

今年も、愛の小鳩の方たちがボランティアとして活躍されたのでは
ないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

オペラ歌手 中島啓江さん

8月のある暑い日、麻布十番のとあるレストランにて、中島啓江さん
の講演があった。いとことともに出かけた。「大きな旅、小さな旅」
と称しての話は、短い時間であったが楽しく聞くことが出来た。
アカペラで歌も聴くことが出来るというので楽しみは倍増であった。

外国に行った時は日本の歌「赤とんぼ」を歌うと話された。
当然のこと、この歌を知らないから、譜面を渡す。国は違っても譜面
で通じることが出来るので、この「赤とんぼ」を歌い、次に、この歌
をまずローマ字で書き、説明をする。特に3番を歌うと目のあたりが
ウルウルしてきて聴いているという。 
言葉は通じなくても音楽を通してコミュニケーションがとれると話さ
れた。確かにそうだなと思う。歌を通じてコミュニケーションがとれ
るものね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

終戦から60年

今日は、テレビでも終戦記念日の特集をしている。
少年兵として15,16歳の年齢で特攻隊として飛行機で出発してい
ったという。この特攻隊という言葉は聞いたりして知っているが、知
らなかったことの一つに「とびたつための操縦は教えてもらっている
が、着陸の操縦は教えてもらっていない」。燃料も片道しか入れてい
ない・・。お国のためにと戦い、死ぬために飛び立っていったのだと
いう。なんと悲しいこと。残酷なこと。
当時は、仕方なかったのかもしれないが、とても胸が痛くなる。

防空壕に入った話は親から聞かされていたが、終戦の日のことは記
憶にない。私は幼すぎたのだ。
同級生の中には、お父さんは戦死、お母さんを空襲、または病気で
亡くした友だちがいる。両親がそろっているということは幸せなことで
ある。

「世界に一つだけの花」

「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」
そうさ 僕らは
※ 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい※

SMAPの歌うこの歌は、みんなを元気にしてくれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

60回目の原爆忌

8月9日は60回目の原爆忌、6日は同じく広島の原爆忌だった。私
の居住地の市では防災無線でお知らせのチャイムが聞こえてきた。
時間は違うけれど6日の広島の時もそうであったように黙祷のための
お知らせである。

長崎の平和公園で平和祈念式典がテレビで放映されている。原爆が
投下された時間に鐘の音とともに黙祷。同時に私の居住地の方でも
鐘の音とともに黙祷のアナウンスの声。

犠牲者の冥福を祈ることを忘れず、戦争のない、平和な世界の実現
のために永久に努力していかなければならない。ということで、市は
恒久平和の願いを込めて、1983年2月1日に非核平和都市宣言を
行った。1988年2月1日には市役所駐車場側入り口前に宣言文と
広島市から寄贈を受けた旧広島庁舎の被爆石を組み込んだ宣言碑を
設置している。

60年という年月はあまりにも長い・・。この年月を被爆された方々
は後遺症に苦しんでこられ、亡くなられた方もいらっしゃる。
戦争は絶対にしてはいけないという思いをさらに強くした日であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »