2009.06.28

縁起物ですから

近所にコンビニが開店した。かなり天気が良く暑い日であった。
店先にはお祝いの花が2段のスタンドに上下に生けられて置か
れてあった。
6つほどあったスタンドの花は全てなく、葉だけになっていた。
それが不思議だった。もしかしたら来店のお客さんに持って行
ってもらったのでは・・と考えた。

やはりそうであった。買い物したときに責任者であろうかと思
われる男性から話しを聞いた。「今日は、かなり暑いので,花
が枯れてしまうので、午前中に来店してくださったお客さんに
持っていってもらったのです」と。

道路に面したところにもスタンドが一つあったが上下に花はあ
る。「よろしかったらあの花を持って帰ってください。縁起物
ですから」とも。そして、自店の袋を持ってきてくれた。
ありがとうございます。遠慮なく戴いて帰ることにした。

フリージア、バラ、ひまわり、トルコキキョウ、そして葉だけ
のモンステラも。 飾って今日で4日目。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.06

見えない網戸 

並んで自転車に乗った二人の女の子が、脇を通った。
“ 見えない網戸 ブラブラブラ 虫コナーズ ”と歌っている。
ハモって歌う二人、耳に入ってきたけれど、何故か楽しい気分で
あった。これって、きっと歌いやすいのだろう。

パソコンで検索をしたら、二人の女性が歌っているのをみること
が出来た。
玄関偏、ベランダ編とあり、振りをつけて歌っている。
自然と頭に入ってくる。覚えやすいのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.01

石本美由起先生の告別式

本日は午前11時から菊名にあるお寺にて告別式が営まれたこと
を Google のニュースで読んだ。

《 石本さんのひつぎには愛用のジャケット、ベルト、おはし、原
稿の一部、手帳などが納められ、出棺時には名曲「憧れのハワイ
航路」が流された。》 この3行Googleから転載。

お天気もよくなり、先生をお見送りするのには良かったのではない
かと思った。

告別式は親族、近親者にて執り行い、後日お別れ会をということで
ある。
私は、お別れ会の時に先生にご挨拶をさせていただこうと思ってい
る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.05.28

石本美由起先生の新聞記事

今朝、近くのコンビニに行き、先生の記事の出ている新聞、それも
主にスポーツ新聞を購入した。7紙もあったのである。
新聞半ページを使用して、先生の出身地などの紹介、名曲のカラー
CDジャケットの写真、先生の代表曲の数々が記載されている。

誕生日とか出身地などはどれも同じであるが、他の記事の内容は新
聞社それぞれである。
一つ一つ丹念に読んでいる。そして必要な記事のみ、切り取った。

先生は松井由利夫先生が氷川きよしの「箱根八里の半次郎」でヒッ
トを出したとき、自分も負けないで書くと言われたということも書
かれてある。 
昨年は遠藤先生、今年は松井先生が亡くなり、がっかりして気落ち
してしまったのでしょうか・・。先生に限ってそんなことはないで
すね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.05.27

訃報:作詞家・石本美由起先生ご逝去

体調が悪いということを伺っておりましたが、本日早朝、心不全の
ため横浜市内の病院で亡くなられた。享年85歳。

亡くなった事を知ったとき、自分の親が亡くなったときのような気持
ちを覚えた。

先生は、「憧れのハワイ航路」に始まり、たくさんの名曲を作詞され
た。「港町13番地」「矢切の渡し」などはカラオケで歌ったりする。
子どものころは、ラジオから流れてくる「柿の木坂の家」を良く聞い
たりしていた。

「良い歌はジワジワと後からヒットしてくるんだよ」と言われ、また
貴重なお話しを伺っている。
もうお話を聞くことが出来ないけれど、先生の作品はいつでも聞き歌
うことも出来る。 先生のご冥福をお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.05.11

訃報:作曲家・三木たかし先生

本日、亡くなられたという報に、ただただビックリ・・
この言葉以外の言葉が出てこない。享年64歳。
夕刊には独学で作曲を学ばれたということが掲載されて
いる。独学で学んだなんて知らなかった。

テレサ・テン歌唱の「つぐない」「時の流れに身をまかせ」
などカラオケなどでもよく歌う。

ご冥福をお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.05.03

海沼實生誕100年記念コンサート

本日5月3日(日)開演15:30。浅草公会堂で行われた。
音羽ゆりかご会の海沼美智子先生よりご招待をいただい
たのである。

音羽ゆりかご会は今年76周年ということである。

日曜日のためか、たくさんの人々がいて会場に行くまで
の時間のかかったこと。

会場は、1階、2階は満席、3階席になった。それでも
空席を見つけるのが大変であった。
一番前の席の一つが空いていたので座った。3階の一番
前真ん中である。

パンフレットには
「子ども達に歌い継ぎたい 日本人の心のうた」
とかかれてある。

指揮と司会は、3代目海沼実先生。 

プログラムを購入。
一部、二部と分かれていて、
第一部 海沼實の生涯 
15曲の歌が音羽ゆりかご会の子ども達の歌で。
ここで、初めて聞いた歌がある。

第二部 歌い継ぎたい日本の四季
滝廉太郎の「花」に始まり「故郷」まで18曲。
子ども達の歌声は聞いていても心地よい。

やはり、子ども時には、唱歌、童謡、叙情歌を歌って
欲しいと願う。

午前中には、発表会があったようで、会員の子ども達
が一人一人生演奏で歌われたようだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009.04.26

松井由利夫先生にお逢いする会

2月にお亡くなりになった松井先生のお逢いする会(お
別れ会ではない)が文京シビックセンター26階で行わ
れた。天気は良く、暑さを感じる日であった。

時間は午後2時~4時(3,40分の遅れはお待ちして
ます)と日本音楽著作家連合からのご案内には書かれて
あった。
2時半過ぎになってしまったけれど、すでにいらしてい
た知り合いの作詞家の先生方とも挨拶をし話しをした。

献花の時の先生のお写真はとても良い笑顔で優しさがあ
ふれていた。今にも何かお話をされそうな感じのお顔で
あった。
先生の作詞された氷川きよし歌唱の箱根の八里の半次郎
ほかの曲が静かに流れていた。

しばらく、みなさんと話しをし、先生の遺影にお参りを
し家路へと向かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.04.21

危険な悪ふざけ

夜11時半過ぎのこと、横浜線町田駅下車したときのこと。
ホームから改札へと続くエスカレーター上でのこと。

黒の上下スーツ姿の30歳前後の女性3人が私の前に乗っていた。
一番目の女性が一番前の女性の乗っているところに2番目の女性が
片足をかけ、笑いながらふざけて反り返っている模様(この女性だ
けが黒のパンツルック)。
エスカレーターが上昇するにつれ身体がますます後ろに反り、倒れ
かかってきた。3番目(私の前)の女性が身体を支え、私も3番目
の女性の身体を支え、危ないですよと声をかけた。

上にエスカレータが着いたときは、件の女性はバッグを離し座り込
んでしまった。そこで止まられたら、後続の人たちがみな、転んで
重なってしまう。
バッグはエスカレーターの上ったところに転がっていた。

1番目の女性は走ってエスカレーターを離れ、二人の友人を待って
いた。2番目の女性も走って行ったが、途中で座り込み、靴を脱ぎ、
放り投げていた。3番目の女性がバッグを持っていたようである。
私が目撃したのはここまで。

それにしても、夜遅い時間帯で酔っているのでもなく、3人のうち
の真ん中に乗った女性はチョットした遊び感覚だったのかも知れな
い。普通の時間帯でも本数の少ない横浜線で、帰路の人が乗換など
でたくさん乗降する駅である。迷惑をかけない行動をして欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.04.08

花は正直

今、ランの鉢が3つある。そのうちの2鉢には蕾を付
けている。
今、ベランダに出せないので玄関に置いておいたとこ
ろ、蕾が沢山出来ていたが、開いてはいない。
とりあえず、大きめの蕾の鉢を日当たりは良くないが
窓際に持ってきたら、花が開いた。

遅れること2日後、もう一鉢も同じように窓際に。する
と置いた翌日、5つの蕾が開いた。
薄ピンクいろの花を見ることが出来た。
嬉しくなり、思わず、ありがとうの言葉が出た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«桜は満開